富士山が世界遺産に選ばれたわけ
富士山信仰 / 遙拝と登拝
遙拝(ようはい)
「遠く隔たったところから拝むこと」を遙拝といいます。古の人々は遠くから富士山を仰ぎ見て、崇拝していました。
構成資産のひとつである山宮浅間神社には、富士山を拝むための遙拝所が残っています。山宮浅間神社の遙拝所は溶岩流の先端部に位置し、遙拝所の周囲には溶岩礫を用いた石塁が巡っているのは当時のまま。遙拝所内部の石列は、主軸が富士山方向に向いていいます。
また、吉田口登山道には、富士山が女人禁制だった江戸時代に女性の立ち入りが許された二合目付近に「富士山遙拝所女人天上」がつくられました。この他にも富士山の遙拝所は、各地の浅間神社などに点在しています。
登拝(とはい)
登拝とは、富士山の御神徳を拝しながら登山することです。その点において、富士山に初めて登ったときから現在にいたるまで、登拝は続いています。
噴火がおさまった平安時代末期には山頂に祠堂が建てられ、江戸期には富士講が広まり、集団での登拝が行われるようになりました。現在でも、時折見かける白装束と金剛杖の登山者は講社の人たちです。登拝者は、欲や迷いを断ち切り、心身が清らかになることを願い「六根清浄」と唱えて登ります。
普段、信仰がないと思いがちな日本人ですが、富士山に登るときにはご来光を拝みたいと考えている人が多いようです。奥宮にもほとんどの方が参拝されることから、今でも登拝の清心は変わらず残っています。