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富士山が世界遺産に選ばれたわけ

芸術の源泉 / 能に見る富士山

奈良、平安時代に庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲などが、鎌倉時代後期から室町時代前期なり観阿弥・世阿弥父子が猿楽を能楽という優れた舞台芸術に昇華させました。もちろん、富士山を題材にした能もつくられています。

謡曲「羽衣」

静岡県ゆかりの謡曲「羽衣」をご紹介しましょう。

三保松原を舞台とする羽衣伝説をもとに、謡曲「羽衣」が15世紀につくられたといわれています。
羽衣伝説は日本各地にあり、衣を奪われた天人が人間の男と結婚するという内容が一般的です。

その中で、謡曲「羽衣」は三保松原における春のたった一日の出来事を題材としています。天女が発する「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを(地上の人間は嘘をつくが天人はつかない)」という台詞や、駿河舞を舞い富士の高嶺、さらに大空に消えていくストーリーは三保松原の持つ神秘性とマッチしています。

謡曲「羽衣」

「第25回三保羽衣薪能」より能「羽衣和合の舞」 羽衣まつり運営委員会

エレーヌ・ジュグラリス

謡曲「羽衣」をとても愛したフランス人の女性舞踏家がいました。

エレーヌ・ジュグラリスは、フランスに日本の大使館のない時代に能の調査・研究を重ね、自らの追及する「羽衣」を創作。1949年のパリ・ギメ美術館での初演は大成功を納め、各地で精力的に上演を続けました。ところが1951年、憧れの地・三保松原を見ぬまま、35才という若さでこの世を去りました。

夫のマルセル氏が、同年の11月にエレーヌの遺髪と手づくりの能装束を手に三保を訪問。彼女の功績を記念し、1952年に「羽衣の碑」(エレーヌの碑)が建てられました。

エレーヌ・ジュグラリス

「エレーヌ・ジュグラリス肖像画」 羽衣まつり運営委員会